こちらの本に記事を書いたわけですが、
普段からブログなどにものを書いてはいるものの、
紙の本に記事を書いたのは初めてで
同じ文章といってもウェブサイトとはこんなに違うものか、
と感じたことがたくさんあったのでメモしておきます。
まあ今回の経験がなくても
想像すればわかりそうなことが多いんだけど、
実際にやってみて痛感したので。
ページ数に制限がある
企画によって違うとは思うんだけど、
今回いちばん強く感じたのはこの点でした。
「俺の筆がすべてを決める!」という大先生の作品もあれば
「だいたいこれぐらいのページでいきましょう」というものや
「もうページ数は決まってるんで」というものまで
いろんなのがあると思うんですが、
今回は最後のパターンでした。
もう最初からページ数は決まっていて、
それに収まるように掲載すべき内容を厳選していく。
しかも章に分けて節に分けて数名で分担しての執筆なので
さらに割り当て分は細分化されていきます。
書いてみると言いたいことはたくさんあって
よっぽど計画的にやらないとすぐ収まりきらなくなります。
全てを含めることはどうにもこうにもできないので、
もうみんなで泣く泣く減量していきました。
ウェブだと、まああまり長い文章を載せても読むのが大変だから
できるだけシンプルに、というのは考えるけど、
上限が決まっているわけではないので
こういった悩みは少ないように思います。
今回担当した特集も、力及ばず
- PHP 5.4 以上を想定しているのに、short array syntax に触れてない。
array('bera', 'rabbit')
ではなく['bear', 'rabbit']
って書くやつ。 - 演算子の説明が十分できていない。
「こう書いといてね」ぐらいの話になっています。 - Session や Cookie やデータベースを扱っていない。
という具合になってしまいました。
断腸の思いです。
せめてものサポートとして
ここから先の学習について提案はしたんだけど
できれば本稿でひととおりやりたかったなあ。
そもそも「ページ」の概念が違う
こちらはページ数ではなく、ページそのものについて。
ウェブサイトにもページはありますが、
紙の本とはそもそもその概念が違うな、という感じがします。
ウェブページというのは、ひとつの意味のかたまりのまとまりで
論理的な構造として分けられるものだと思います。
ところが紙の本のページは
物理的に1枚の紙の片面と一致しますね。
そこに収まりきらないものは掲載できない。
また、文章と図表が関連している場合
どことどこを同じページに載せるか、
ここは見開きで一覧できるのか、ページをめくった先にあるのか、
ということを考える必要があります。
意味のかたまりか、物理的な上限か、というのは
コンテンツをつくっていく上ではまったく意味の違うことで、
もうたまたま「ページ」という同じ音と綴りになっているだけで
それが指すものは完全に別、という感じがします。
脱稿後に人の手が入る工程が多い
原稿が書き上がった後のことですけど、
紙の本はそこから人の手が入る行程が本当に多い。
もちろんウェブサイトだって原稿かいて終わり、じゃありませんね。
そこから校正も配置もコーディングもある。
それでも、紙の本の場合はその比じゃないように思います。
ほぼ章と段落だけでできている小説なんかだと
少し事情が違ってくるのかもしれないけど、
雑誌や今回のムックのようなものの場合
段組があったり図の配置がやソースコードの切り分けがあったりと
版ができるまでに編集作業の締める割合がかなり大きい。
そこから先、編集内容のチェックがあり修正があり
印刷・製本があり搬送がありと
本当にいろんな人の手が入る段階を踏んで
やっと本屋さんに並びます。
関係ないけど、子供の頃は「脱稿」と聞くと
「原稿を放り出して脱走すること」だと思ってました。
書いたものがそのまま出るとは限らない
これは上述の「人の手が入る」というところと関わるんだけど、
出版物によっては
著者が書いたものがそのまま世に出るとは限りませんね。
ミスがあったから修正、というのはもちろんとして、
例えば今回みたいに複数の著者がいる場合
最低限1冊の中でこの表記については統一しよう、とか
この出版社ではこういう書き方をすることになってるから、とか
そういった理由で、内容が修正される場合があります。
また、ちょっとユニークな表現があって
その書き手の文体が明確になっていないときなどは
それが意図的なものなのか間違いなのかわかりにくい。
その場合、ひとつひとつの表現について確認をとる余裕はなかなかないので
チェックや編集の段階でさらりと書き換えが入るかもしれません。
できあがったものを見たら、
あれ、自分はこういう書き方しないんだけどな、
と思うような部分が出てきたりもしますね。
これは大先生には決して起きないことだと思うので
はやく大先生になりたいです。
一度出したら修正が難しい
これもウェブとの大きな違いですね。
何度も何度も、複数の人の目で確認するんだけど
必ずしも完璧とはいかず、訂正が必要になることもあると思います。
今回も、繰り返されるチェックと変更の中で
途中までは起きていなかった問題が最後の最後に発生してしまい
サポートページに訂正を掲載せざるを得ない、ということになりました。
買ってくださった方には本当に申し訳ありません。
やむを得ず修正が必要になった場合について言えば、
ウェブの方が圧倒的に有利ですね。
データを書きかえればすぐにでも反映させられるので。
紙の印刷物は視認性が高い
これは研究結果が発表されてるのを見ることもあるように思います。
パソコンの画面と比べて、
紙に印刷されたものを読んだ時の方が
より多くの情報を、より的確に捉えることができる、という話。
原稿はパソコンのエディタで書きます。
それを今回は相互チェックしました。
版組していただいたものを PDF で受け取って
それをまたチェックします。
そこまでの過程で捉えることのできなかったミスを
印刷して読んでみると、一発で見つけることができました。
今回だけの経験で言っているので
有意な検証結果ではないと思うんだけど、
感覚としてやっぱり印刷物の方が目に入りやすいなあ、
とは思います。
あとは、液晶画面と電子ペーパーだとどう違うのか、も気になりますね。
Kindle で見た時は、パソコンより視認性が高いのかどうか。
誰か研究おねがいします。
本は手に取れる
まああたりまえですけど、ウェブサイトを手に取ることはできません。
サイトが表示されたパソコンを持ったり
印刷して鞄に入れたりすることはできるけど、
そういうことではなくて。
見本誌が届いて、手に持った時の「できあがった」感は、
じっくり作ってきたウェブサイトをリリースしたときとはまた
違う感覚でした。
変わらないのは、どちらも「嬉しい」ということですね。
本屋さんに並ぶ
これもまた「手に取れる」とつながるところだけど、
紙の本は本屋さんに並びます。モノとして。
電子書籍も電子の本屋さんに並ぶけど
街の本屋さんにそれが置かれる、というのは
やっぱりだいぶ違う感覚だと思います。
ただ、この本は今日発売で
まだ並んでるのと見たわけではありません。
本当に並ぶんだろうか。
ページビューと発行部数の違い
ウェブサイトには、訪問者数やページビューという指標がありますね。
紙の本だと、特に重要な指標になるのは発行部数じゃないかな。
宣伝でも発行部数で何万部、という言い方をよく見ます。
ページビューやユニークユーザー数は1件単位で計れますね。
それに対して発行部数は1回あたりの発行部数でカウントするので
何千部とか何万部とかの単位になります。
それが売れちゃって次に重版がかかったときまた何部、という具合に。
総数の問題ではなくて、単位とスパンが違うな、という話です。
ウェブサイトだと、日々の訪問者を確認して
広告を載せてたり商品を売ったりお問い合わせフォームの反応を見たりと
かなり細かいスパンで見ては改善していくことになるんだけど、
本の場合はそういった細かい動きにはなりませんね。
そもそも今の時点で何冊予約されていて何冊売れてるのかわからない。
何かがわかるのは、重版がかかったときに
「ああたくさん買ってもらえたんだなあ」というぐらいなんじゃないでしょうか。
たくさんの人が手に取って、気に入ってくれたらいいなあ。
本日発売です!
といろんなことを感じながら、
みんなで一生懸命書きました。
よろしくお願いします!