北国でスキーでもしようかと
バスで長野県に向かったことがある。
すぐに寝付ける体質なので、長距離バスが全く苦にならない。
苦にならないも何も
たいてい走り出した次の瞬間には目的地に到着している。
それにしても、あのときは辛かった。
時速50センチメートル
その日、長野周辺は記録的な大雪。
公共交通機関はすべてストップし、
高速道路も走っている最中に全面通行止めとなった。
当然のように大渋滞が発生。
高速から降りようにも、
インターチェンジまでたどり着くこともできない。
早朝にはスキー場に着いている予定が、
その日の昼になってもまだ高速道路の上にいた。
やっと最寄りのインターチェンジで降りたかと思えば、
町の交通も完全に麻痺していた。
進行速度は時速50センチ。
一眠りして目が覚めても景色が変わっていない。
「これはかなりの時間を覚悟しなければ」
と思ったその時。
乗客の一人が緊急事態に陥った。
トイレだ。
通常、ツアーバスの乗客は安全上の理由から
休憩所となるサービスエリア以外でバスを降りることは許されない。
しかし今は非常事態。
運転手さんがドアを開け、乗客は雪の中を走り出した。
それが、次なる物語の幕開けだった。
セブンの発見
しばらくすると、
その乗客は当初の目的を達成して戻ってきた。
そして、バス乗り込むなりこう叫んだ。
「セブンがあった!」
トイレを求めてさまよっている間に、
道を一本はずれたところにあるセブンイレブンを発見したという。
考えてみれば、
出発してから16時間ほどになるが
みなほとんど何も食べていない。
それはそうだろう。
8時間程度で到着するという予定だったのだから、
持っている食料といえば
せいぜいポッキーやハイチュウくらいだ。
そんなときに聞いた「セブンイレブン」という響き。
「セブンか。」
「おにぎりだ。」
「お弁当だ。」
「いや、おでんだ!」
様々な思いを胸に、
ほぼ全ての乗客がバスから飛び出した。
なるようにしかならない
そして、セブンイレブンにたどり着いたとき目に入ったものは。
パンも、おにぎりも、弁当も、そしておでんも、何一つ残っていない
淋しいコンビニエンスストアの姿だった。
冷静になっていれば予想はできたことだ。
周りにただ一つだけ建っているコンビニエンスストア。
大渋滞で身動きの取れない数十台の車。
売り切れるのは当然のことだった。
しかも補給のトラックは当然たどり着けない。
結局、
わずかに残っていたポテトチップスをぶら下げて
皆とぼとぼとバスに戻っていった。
しかし、このあたりから心の中は
「いったいどうなるんだろう」
という不安感から
「なるようにしかならん」
という諦めの境地に変わっていったような気がする。
地元のおじいさんと会話を楽しむ余裕も出てきた。
「わしゃあここに75年から住んどるが、こんな大雪は初めてじゃ」
(という内容を、長野の言葉で)
というのを聞いたとき、
この歴史的な場面に居合わせたことをありがたいとすら思えてきた。
しかし、それでも事態は好転しない。
先は見えない。後も見えない。
出発してから20時間が経過。
2日目も暮れ始めていた。
中止の決定
その知らせが飛び込んできたのは、2日目の夜中のことだった。
運転手さんがマイクを使って車内の乗客に知らせる。
「ただいま…ツアーの中止が決定されました…」
ものすごく申し訳なさそうだ。
いいよ、もういいよ運転手さん。
もう十分やってくれたよ。
そもそも、
目的地までたどり着けるなんてもう誰も思ってないよ。
さて、ツアー中止なら引き返…
…どうするんだ。
どうやって引き返すんだ。
確かに、対向車線は空いている。
空いているというより、
道がふさがっているからそもそも車が来ない。
しかし。
このバスはいま片側一車線の道路で立ち往生している。
前後もぎっしり詰まっていて、
二進も三進もいかない。
この状況でどうやってバスが引き返すというのか。
いかんともし難い状況に、
その場にいた誰もが落胆した。
ただ一人を除いては。
諦めない心
交代のため二人乗っていた運転手さんのうち、運転していない方の人。
彼は諦めていなかった。
コートを羽織ると、バスから飛び出していった。
どのくらいの時間が経過しただろうか。
雪まみれになって、彼は戻ってきた。
少しずつ少しずつ交通整理をして、
20メートルほど先にバス1台分のスペースを確保したという。
運転している方の運転手さんが
細心の注意を払いバスの巨体をそのスペースに押し込めた。
そして、運転していない方の運転手さんは
また交通整理のために出て行く。極寒の雪の中へ。
本来は交代して仮眠を取るために
運転手さんが二人乗っているのだが、
この非常事態である。
彼らは一睡もしていないはずだ。
体力も精神力も限界に違いない。
乗客にできることは、
ただただ心の中で応援することだけだった。
車内を見渡すと、寝ているものなど誰一人いない。
何もできないが、乗客も全員で戦っていた。
誰もが頭の中で『地上の星』を歌っていたことだろう。
交通整理をする。
スペースを確保する。
移動する。
また交通整理に出る。
この地道な作業を繰り返し、
ついに方向転換できそうな広場までたどり着いた。
帰れる。
帰れるんだ。
ありがとう、運転していない方の運転手さん。
そして、運転している方の運転手さん。
数時間後、一行は交通規制の解除された名神高速道路にいた。
そして伝説へ
サービスエリアに入る。
豚汁定食を注文する。
何時間ぶりの食事だろう。
こんなに美味い豚汁がこの世にあったのか。
その温かさと味わいに、思わず涙が出そうになった。
出なかったが。
さらに数時間走り続け、バスは広島まで帰還した。
金曜の夜に出て、戻ってきたのは日曜の午後。
出発してから40時間半が経過していた。
すべての乗客を安全に送り届けたことを確認し、二人の英雄が帰っていく。
バスの後ろ姿に向かって
全員が深々と頭を下げた。
そして、
二人の乗ったバスが交差点の向こうに消えるのを見届けてから
それぞれの家路に就いたのだった。