鍋でありながら鍋ではないもの

ずいぶん前の話だが、
知人と3人でドライブをしていた。
ちょうどお腹が空いてきた頃、
昼間からを出してくれる店を発見。
3人が同時に思った。
ここでお昼にしよう
入ってみると、
店内はなかなか綺麗なつくり。
この時は、
壁に貼られたメニューに気を取られていて
他の客のテーブルに目を遣ることはなかった。
そうしていれば、
あの違和感に
あらかじめ気づいていたろうに。
テーブルに着き、
3人前」と注文。
しばらくの後に
運ばれてきたものを目にして、
我々は言葉を失った。
3つ
鍋が3つ運ばれてきたのだ。
つまり、
一人ひと鍋
3人が同時に思った。
これは鍋じゃない
鍋というのは、
我々の心を満たしてくれるべき食べ物である。
ところがこの虚しさはどうだ。
確かに、
目の前に置かれているのは鍋である。
しかしこれは鍋ではない。
鍋から最も重要な要素を取り除いた食べ物」だ。
味は悪くなかった。
店は清潔感のあるつくりで、
店員の感じも良い。
値段もなかなかリーズナブルである。
それでも、
店を出る我々の足取りは重かった。
その店で鍋を食した後、
無性に鍋が食べたくなったのは
言うまでもない。

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