小学生のとき「寒い」と口にしたら、
担任の先生に「寒いと思うから寒いんだ」
と怒鳴られたことがある。
その時は
「何と理不尽なことを言うのだろうこの人は」
程度に思ったものだ。
しかし今にして思えば、
この先生のお言葉は実に正当なものだった。
客観的にみて「寒い」という気温はない。
「寒い」というのはあくまで主観的な判断だ。
「摂氏何度以下は寒い」
という一般的な基準があるわけではなく、
主体が「寒い」と感じた時にのみ
「寒い」ということがあり得る。
そう考えれば、
「寒い」という判断を下さなければ
寒いことにはならない。
「寒い」と思うから寒いのだ。
客観的判断の不可能性を説いておられたことに
浅はかな小学生は気づかなかった。
K谷先生は
後から後から効いてくる
冷や酒のような、ボディブローのような、
そんな教育をしておられたのだった。