どうも誤解を生むような書き方をしてしまっているようなので一応。
心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく記事にして
それに対して人からご意見をいただいて
そこからさらに話が進むというのは
ブログをやっていて一番おもしろい部分じゃないかと思う。
が、出だしのところで行き違いがあると
議論が前向きにならないので補足。
この2つの記事に
コメントやらトラバやら、あるいはトラバなしで言及やら
いろんな方がいろんなことを言ってくださっている。
この人の頭ん中: 人の日記にケチをつけるのも何だが
この人の頭ん中: それが実は幸福をもたらすものでありますように
で、これに関連して
「愚痴をこぼしたっていいがな 人間だもの」
といった感じのリアクションが多数。
まったくその通りだと思う。
そもそも愚痴をこぼしたことがない人などほとんどいないだろうし、
ネガティブな書き込みをすることが悪いなどとはこれっぽっちも思わない。
別に人ごとではない。
ダークサイドに堕ちそうになっているときに
人に話を聞いてもらうことで助けられたことはある。
本当に、あのときあそこでああやって話を聞いてもらったからこそ
自分の魂は何とかバランスを保つことができたのだなあと思うような経験はある。
逆に、そんな状態にある人の話を聞くときは
それで少しでもすっきりしてくれるんならいいやと思うし、
そういう役割をすることはたぶん平均的な人より多いと思う。
自分の中にある負の感情をそのままため込んでしまったら
澱んで腐って悪臭を放ってしまうから、
そうなる前に放出するというのは適切な処置だ。
それがいかんとは
ひとことも言ってないつもりなのだが。
自己救済措置あるいは一時的なストレス発散として愚痴を漏らすことと、
ネガティブな言動を生活習慣のようにしてしまうことはまったく違う。
ちょうどohkoshiさんがぴったりなことを書いてくれているのだが、
両者の違いは
定期的に排泄行為をすることと
排泄物を垂れ流しながら街中を歩き回ることぐらい違う。
別に「トイレに行くな」と言っているわけではありませんので。
そこんとこに齟齬があるように思えてならないので
トイレを我慢しながら深夜にこんなことを書いてみました。
齟齬
2006年12月27日 02:24未分類
2006/12/27 03:17
私は、元記事にありました「日記」を読んだことがありません。ただ、私の居るブログでも、ネガティブな記事をお書きの方はおいでなので、そこで見聞きして思うことと、私の経験を書かせていただきました。
ただ。ブログでネガティブだからといって、私はその方の現実を見たことがない。そこに一縷の望みをつないでいるところです。
冷たい言い方をすれば。現実でもブログでもネガティブでしかいられないのは、ある意味、破綻している気はしますね。ですが、人の心のバランスとして、いつかはいい事を思えるようになるという、「振り子」の原理を信じたいと思っています。
私の一連のコメントやトラバが、マスナガさんのおっしゃる事とはずれていましたら、申し訳ありません。
2006/12/28 00:22
> マナさん
もう一つ食い違いを生じうると思われる部分は、これも元記事を読んでいただければわかりますが、対象は大学生だということです。何が違うのか、と思われるかもしれませんが、社会人を相手にするのと大学生にものを言うのはまったく違うものだと私は思っています。その件も気が向いたらまた記事にしますが。