小学生の時
自分が書いた作文が PTA 新聞だったかに載ったことがある。
修学旅行で山口県の秋芳洞に行ったときの感想文だった。
きれいだなーと思ったので
きれいだなーと思ったと書いたら
先生のお気に召したらしく、掲載されることになった。
ただ、実際にできあがった新聞を見ると
文面が少し違う。
確か、鍾乳洞の美しさを描くのに
あまりに美しくて、とても自然にできたものだとは思えませんでした。人工的に作られたものじゃないかと思うくらいきれいでした。
といった感じのことを書いていたはず。
まあ今だったら
「自然が作り出す美」がどうこうというところに焦点をあてて
それらしいことを書くんだろうけど、
その時は
「自然にできるもの → 不規則な形」
「幾何学的な美しさ → 人工物」
というイメージで書いたんだと思う。
ところが掲載された作文では
この人工的に云々という部分が消されていた。
それを見たとき、まあだいたい何が起きたのかはわかった。
自然の力に驚嘆すべき話の流れで
「人工物かと思うくらい綺麗」はよろしくないな、
という理由から
先生か PTA 新聞の編集の係の保護者かが
それらしい文面に直してくれたのだろう。
二重に残念だった。
ひとつは、せっかく自分が見たものの感想をそのまま書いたのに
それが書き換えられていたこと。
もうひとつは、
「こういうときは『自然物 > 人工物』という流れで書くものだけど
この子はそういうのがわからない子」
と解釈されたらしいこと。
わかってますよそれくらい。
でも百枚皿の印象を表すには
どうしてもその表現が必要だったんですよ。
納得できないことがあったら
追求するタイプの子だったけど、
このときは何だかそうする気も起きなくて
誰にも言わずそのままにしておいた。
その代わり
新聞と名のつくものに書かれていることに関して
何か大切なことを学んだような気がする。
2008/08/30 13:47
新聞ではなく小学校という共通項で似たような経験。
小学校 3 年生のとき、夏休みの自由研究で「雲の研究」というのをやりました。
といっても図鑑で調べた雲の名前と解説に、自分で描いた絵を添えただけなのですが、雲の名前には「積乱雲」とか「層雲」という本来の名称を使ったわけです。
ところが、それを見た担任の教師、市の科学展だったかに出品したいけど、そのためには雲の名前を「入道雲」とか「すじ雲」という通称に直すようにと言うのですよ。
理由を聞いたら、「言葉遣いが小学生らしくないから」だそうで。
子供ながらに、教師というものの限界を知るきっかけになりました。
2008/08/31 09:22
私も小学校のとき似たような経験が。
カエルの飼育記録。途中で逃げちゃって完結しなかったのだが、町だか県だかに出品することになって、足りないところは書物の絵と文を書き写しました。