自転車のライトを盗まれたことに関連して言いたいことを言ってみる

自転車で出かけて建物に入り、
自転車に戻ったらライトがなくなっていた。

取り外そうと思えば簡単に外せるけど
自然に外れることはまずないつくりなので
人の手によるものだと思う。

大して高級なものをつけていたわけでもなく
モノとしてはまた買えばいいだけの話だけど、
誰かが意図的に持って行ったのだとすると
本当に悲しいことだと思った。

その人は次のいずれかじゃないかと思う。

  1. 人の物を盗ったら持ち主が悲しむということがわかってない。
  2. 持ち主は悲しむだろうけど、自分の利益の方が大きいと見積もって盗った。
  3. 他人が悲しむことを何とも思ってない。
  4. 誰かが不幸になることに喜びを感じる人だった。
  5. 魔が差した。

このブログを読んでくれているのは
そういう行為に及ばない人だと信じたいけど、
いつどこで何が誰の目に触れるかわからないのがウェブ。

なので一応、それぞれについて思うことやお伝えしたいことを。

1. 人の物を盗ったら持ち主が悲しむということがわかってない

もしそういう人がいたら覚えておいてほしいんですけど、
人の物を盗ったらまず間違いなく持ち主は悲しみます。
やめましょうね。

さらに、誰かの悲しみが増大するということは
社会全体の幸福の総量が減少するということです。
好ましくないと思いませんか。
やめましょうね。

「そんなの知ったこっちゃねえ」という場合、
あなたは後述する3番か4番の人なので
ここには当てはまりません。

2. 持ち主は悲しむだろうけど、自分の利益の方が大きいと見積もって盗った

自分の利益と盗られた人の損失とを比べて
前者の方が大きいと見積もったということかもしれない。

だったらやってもいいという発想には同意できないけど
その人はそういう考えなんだろう。

ただ、仮に両者が比較可能だったとしても
実際には盗ろうとしているものが相手にどってどれだけ重要なものかも
相手がどれぐらい悲しむかもわからないわけだから
その計算は成り立たない。

その見積りは間違っている可能性が高いので、
行動に反映させるのはやめてください。

また仮に計算が合っていて
その考え方に基づいてその行為そのものが正当化され得るとしても、
盗ったり盗られたりする社会を是としてしまうと
「安心」という大切なものを失うことになるので
個人だけの利益を考えても社会全体のことを考えても
やっぱりやめた方がいいです。

3. 他人が悲しむことを何とも思ってない

自分と面識もないような人がどんな思いをしようが
痛くもかゆくもないよ、という心情は
あるところまでは一般的なものに通じる部分があるのかもしれない。

同じ出来事が自分や身の回りの大切な人に起きたときと
世界のどこかにいる名前も顔も知らない人に起きたときでは
やはり受け止め方が違う。

それで心を痛めることはあっても、
全ての人の幸不幸を
いずれも自分のことと同じように感じられるほど敏感にはできてない。
あるいは逆に
自分のことにだけ敏感すぎるのかもしれないけど、それはともかく。

なので「痛くもかゆくもないよ」まではいかなくても
誰だかわからないような人の不幸は
身近な人の不幸ほど重大に感じられないということに
さほど大きな違和感はない。

ただそれは、起きた出来事とそれを被った人についてのみ考えた場合。
その出来事を引き起こしたのが自分だったら話は違う。

もし他人の不幸には何の関心もないとしても、
それを引き起こしているのが
まさに他ならぬ自分であるということを意識してみたら、
そして自分のその行為によってひどく落胆した人の顔を想像してみたら、
少しは違って感じないかなあ。

それでもピクリとも心が動かないようなら
もうここで何を言ってもやはり動かない心なのだと思うので
せめて次がありませんようにと祈るぐらいしかできない。

4. 誰かが不幸になることに喜びを感じる人だった

他人の不幸によって幸福を感じるとか
他人が幸福だと不幸せな気持ちになるとか
実際にそういう心が存在することは知っているつもり。

世界全体の幸福が増大した方が
自分にもそれが巡ってくる可能性が高くなるので
できることなら誰かの幸福に喜びを、誰かの不幸に悲しみを覚えて
それに基づいた行動をするようにできている方が
利害だけを考えても幸福だと個人的には思ってるけど、
心の問題は本人の力でもどうしようもないということもあるので
「ダメだそれは」などと言っても仕方がないかもしれない。

ただ、どうしても誰かの不幸を喜ばずにはいられない人は
既にある不幸で満足してもらえないでしょうか。

積極的に新たな不幸を作り出さなくても、
不幸はそのへんにごろごろしてますから。残念ながら。

5. 魔が差した

やっちゃダメですけど、本当にダメですけど、
魔が差すということはありますよね。人間だもの。
きっと今ごろ後悔していることだと思います。辛いですね。

もし次に魔が襲いかかってきたら、
ほんの一瞬この記事のことを思い出してもらえたら嬉しいです。
もしかしたら「ああ、何か悲しんでたなあ」という思いで
魔の侵入を避けることができるかもしれません。

まあともかく自転車屋さんに行って
新しいのをつけてもらおう。
今度は簡単には取り外せないやつを。

これは本当に名言だと思う。

Trust in God, but lock your car.

— Anonymous

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2 Responses to “自転車のライトを盗まれたことに関連して言いたいことを言ってみる”

  • 2009/01/22 05:44

    こんにちは。自転車のライトを盗られた・・・という日常的なことを、こんなに深く社会全体の幸せというものとまで絡めて書かれているなんて、すごい!子どもに、読ませたい!って感じです。社会全体の全体の幸せの量が増えたら、自分にも・・・って考え方、「情けは人のためあらず」と一緒と思っていいんですよね・・。自分自身も「これは、、、偽善かなぁ」と思うことをやらずにはいられなくなるときが時々あるのですが、「情け~」の考え方がある!と思って、「自分のためよ♪」と思って、納得してたりします。・・ううん・・支離滅裂なコメントですが、自分のなかの「ひととして、しちゃだめなことってある!」というモヤモヤとした悩みを、理路整然と解説してくれて、ありがとうございました。

  • 2009/01/22 13:43

    6. 人外。1~5 のような理由付け(reason)なんかはるかに超越してしまった理解不能な存在。