先日スーパーへ買い物に行ったときのこと。
レジ係の(たぶん)アルバイトの男子が
何だか最初から最後まで不機嫌そうだった。
「いらっしゃいませ」と言ってくれたのはいいんだけど
ぼそぼそと何だか口ごもったような物言い。
レジを打つときも少し煩雑というかぶっきらぼうというか。
別にお店の人が客に愛想良くしなければならないとは思わない。
でも「どうせならもっと楽しそうに仕事すればいいのに」
とは思った。余計なお世話ですが。
ただその後「でも、もしかしたら」といろいろ勝手に考えてみたら
だんだんおもしろくなってきた。
もしかしたら、
- 学校で先生のことを間違って「お母さん」と呼んでしまったのかもしれない。
- 中学生のとき一緒に遊んでた友達から、自分にだけ「メアド変えました」メールが来てないことが判明したのかもしれない。
- リーマンなんたらの影響がどうとかわけのわからない理由で時給を下げられたのかもしれない。
- お姉ちゃんにベッドの下を見られたのかもしれない。
- 好きな女の子が他の男の子と一緒にいるのを目撃したのかもしれない。
他人の不幸を勝手に想像して
「おもしろくなってきた」は不謹慎かもしれないけど、
人それぞれどんな事情があるかわからないのは確か。
もちろん何か切ない出来事があったからといって
仕事をいい加減にやっていいということではない。
でも影響はありますよね。人間だもの。
自分だって機嫌のいいときとそうでないときはある。
常に同じ精神状態で仕事ができるかと聞かれたら
自信をもって「はい」とは答えられない。
そもそも、人の態度をどんなふうに受け止めても
結局それは自分の中で終わってしまうことなので
「何だよちくしょう」などと思っても誰も幸せになりませんね。
というわけで、
個人的によく知らない人の態度で不愉快な気持ちになりそうだったら
「いや、でももしかしたら」と
いろいろ妄想してみるというのはどうでしょう。
「うわー、わかるわその気持ち」などと思えば
だんだん愉快になってきますよ。
結局、自分が店員さんに対して最初に感じたのと同じことを
実は自分にも言ってやればよかったのだった。
どうせなら、おもしろく。
2009/02/04 16:28
もしかしたら —
マスナガさんは、何かおもしろくないことがあって、気晴らしをしようと近所のスーパーに出かけたのかもしれない。でも、そこで偶々、自分よりさらにおもしろくなさそうな人を見かけてしまって、鬱なうえにも鬱になりかけてしまったのかもしれない。そこでしかたなく、人の不機嫌の理由を想像することで自分の不機嫌も直そうと涙ぐましい努力をしたのかもしれない。けなげだなぁ…泣けてきそう。アレ?
ストーリーを作りすぎるのは逆効果のようです。