結局は何のためのアナウンスかという問題

「白いです」「美味しいです」「悔しいです」のように
形容詞のあとに「です」と続ける表現については
こういうことになっている模様。

です – 広辞苑第五版

「面白いです」のような形容詞に付いた言い方は,昭和10年代までは由緒のないものとされたが、現代は正しいものと認められている。

言葉というのはもともと約束事にすぎないので
「正しさ」を求めるのは難しい。
何を適切とするかについては
多数決をとるか
エラい人が決めてくれたルールに従うか
自分の感覚が世界を回していることにするか
そのあたりじゃないだろうか。

形容詞+「です」に関しては
あらたまった場では使わないように気をつけるとしても
まあ日常会話ではごく一般的に使われていると思う。

さて、これに関連して少し気になったこと。

デパートにいると
エスカレーターの使用に関するアナウンスが聞こえてきた。

エスカレーター付近で遊ぶと危のうございます。

うん、丁寧ですね。
丁寧で由緒ある表現です。

が、いささか不自然な感じがいたします。

表現に気を配るのは素晴らしいと思うんだけど、
あまり気にしすぎると一般的な感覚からは離れてしまう。
このあたりのバランスが難しいところ。

ただこのケースに限って言えば、
取るべき態度はひとつじゃないかという気もする。

結局このアナウンスの目的のところまで戻ることになるんだけど
一番大事なのはちびっ子が危ない目に遭わないように注意を促すこと
(と、ちゃんと注意してるよとアピールすること)
なので、ちびっこが聞いてわかることが最優先じゃないだろうか。

別のデパートでは、気品漂うアナウンスの中に
こういうのが混じっていた。

よい子のみなさん、エスカレーターで遊ぶと、危ないですよ。

こっちだと思う。

エレガンスよりかしこまった雰囲気より
まずは伝えるべき相手が受け入れやすい言い方をすることですね。

まあそういう放送を聞いて
「よい子じゃないから関係ない」と言うような子だったやつが
今になってそんなことを言っても説得力がないかもしれませんが。

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One Response to “結局は何のためのアナウンスかという問題”

  • ululun

    2009/05/08 09:18

    事例は呼びかける対象が前者が保護者、後者が子ども、という事なのかなあ、と思いました。
    後者のほうが「わかりやすい」と思いますけどね。