電車の駅や車内でよく
「ドアが閉まります。ご注意ください」
というアナウンスを耳にする。
ドアが閉まるから「ドアが閉まります」と言っているのであって
微塵ほども間違ってはいないし何の文句もないんだけど、
違う表現を耳にして少し思うことがあった。
残念ながらどこの路線のどこの駅だったか忘れちゃったんだけど
「ドアが閉まります」ではなく
「ドアを閉めます」というのを聞いたことがある。
特に深い意味があって言っているわけではないかもしれない。
単に「前からそうだから」というだけかもしれない。
けど、言葉の表現とそこから感じられるものは確かに違っていた。
ドアが勝手に閉まるのではなく、
私が、あるいは私たちが、自らの責任と判断のもとに、ドアを閉めます。
と言っているように聞こえた。
何だかプロの意地と誇りの表れのように思えた。
あくまで勝手な想像だけど。
どちらが正しいか、ということではなくて
同じアクションを表現するとき
どちらを使うかは意図的に選べるよね、という話。
ドアが閉まるのか、ドアを閉めるのか。
うっかり責任の所在を明確にすると
あとでどんな負担を強いられるかわからないような文書では
しれっと主体を抜いて書くのが大人の知恵かもしれない。
ただ、誰が主体かが火を見るよりも明らかで
どう考えてもその人が責任を負うべきものであるようなら
潔くいった方がいい場合も多いと思うんだ。
寝坊して待ち合わせに遅れといて
「遅刻が発生しました」じゃないでしょ。