「ケンカするほど仲が良い」という表現がありますけど
この表現が氾濫したために余計な不幸を生んでる場合もあると思うんですよ。
先に言っておくと何かあったわけじゃありません。
常々思ってることを書いてみるだけ。
無関心よりはマシだけど
「愛情の反対は無関心」というのはよく言ったもので、
確かに相手への感心が完全に失われててケンカにすらならないよりは
言いたいことがある方がまだマシな関係なのかもしれない。
ケンカをする仲がその点において評価されるのならまあわからないでもない。
けどこれはもう人間関係においては末期のレベルとの比較であって、
この「するほど仲が良い」という表現が想定している状態とは
かけ離れてるんじゃないでしょうか。
よく口論をするカップルについて
「いやあまあケンカするほど仲が良いって言うしね」などというとき、
それは完全に破綻した関係との比較で言ってるわけじゃありませんよねたぶん。
ない方がいいと思う
何らかのプレイとしてのケンカならいざしらず
不愉快な感情を伴ってのケンカなんて
しなくてすむものならしない方がいいと思うんですけどね。
もちろん相手に訴えたいことがあっても黙ってろということではなくて、
言いたいことがあったらケンカじゃなくて話し合いをすればいい。
お互いに納得のいく話し合いができればその方が幸福で、
それができないからケンカになってることが多いんじゃないかなあ。
「私たち、ダメなんじゃ」を生む
この「ケンカするほど仲が良い」という表現が幅をきかせているため
「私たち、ケンカ全然してない・・・これじゃダメなんじゃないかしら」
という方向に考えが行ってしまう人とお話したことが何度もあります。
特に思春期はそうかなと思うんだけど、まあその年頃に限らず
相手との関係や自分の心のありようが激しく不安定な時期などは
もうその考えにとりつかれたら止まらなくなって
「ケンカしないからわかれましょ」という結論に至る人も実際に存在します。
相手の人はたまったもんじゃありませんよこれ。
なんで仲良くしてることを理由にお別れすることになるのかと。
「ケンカするほど仲が良い」に一理あることはわかるんだけど
その表現がうっかり世に放たれることによって生まれている悲劇もある、
ということは意識しておいてもいいんじゃないかと思います。
ですから何かあったわけじゃありませんて。