25と100のはなし

DREAMS COME TRUE が25周年だとかいう話を聞いて思ったんだけど、
25に何らかの意味をもたせたものって結構あるんですよね。
銀婚式しかり、クォーター硬貨しかり。

けど25ってそれ自体できりのいい数字ではないように思います。
あくまで100の半分の半分なだけ。

そうなると、25と100という数字を比べたとき
25は決して100に勝てないんだなと思いました。
25が意味を持つのは、100という数のきりのよさのおかげであり
100がなかったら25もその価値を失う。

ただ、もしそれとは別に
25も100もそれぞれ独立した意味を持ちうるのだとしたら
今度は25の方が俄然有利になります。
100はいくつ集まっても25になることはできないけど
25は4つ集まると100になれるから。

25セント硬貨が4枚あれば25セント、50セント、1ドルの支払いができるけど
1ドル紙幣しか持ってなくて「おつりないよ」と言われたらもう諦めるしかない。

ですから、どちら側から見るかによって
25という数字と100という数字と、それぞれに異なる価値が出てくるわけです。

だからどうということもないんですけど
なんかこう「みんなちがってみんないい」か何か
いい話につながりそうな気がしませんか。

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